赤旗事件公判筆記 『熊本評論』掲載

Japanese Red Flag Incident Trial Transcript Published in "Kumamoto Hyoron", 20 August 1908.

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29号 1908.8.20

<赤旗事件公判筆記>公判第一日 8月15日 一面二面

…所謂赤旗事件なるものは、当時資本家新聞の捏造的報道に依り、全く社会に誤伝せられたり、本筆記は8月15日東京地方裁判所に於て開廷せられたる公判筆記なれば、事件当時の事情及事件の真相を知るに最も正確なるものなり。8月16日、東京、有生)

 8月15日午前9時、14名の同志に対する治安警察法違反、官吏抗拒事件は、東京地方裁判所第一号法廷に於いて満田検事立会島田裁判長に依り開廷せられたり更めて記す、当日の被告左の如く

堺利彦 山川均 大杉栄 荒畑勝三 宇都宮卓爾 森岡永治 徳永保之助 佐藤悟 百瀬晋 村木源次郎 管野須賀子 大須賀里子 神川松子 小暮礼子

…裁判長は一般に向て次の訊問をなせり。曰く、

「被告らは7月22日石川三四郎の主催に係る山口義三の出獄歓迎会に赴き開会後同日午後6時『無政府』及『無政府共産』と記せる赤旗を翻し、場外に出て、無政府党万歳を絶叫し、亦は『革命の歌』を高唱したりしや。」

…堺利彦君は『余親ら赤旗を翻せし事なし。余の場内に居りし際同志の一人が、門前に混雑ありと報じ来りしより、馳せ出で見たるに同志と警官の間に騒擾開始されて居れり」

裁「被告は無政府主義者なりや」

堺「否な余は社会主義者なり」

裁「無政府共産なる語を用いし事なきや」

堺「共産なる語は社会主義者一般に認められ、且つ信じられ居るも、余は自ら進で未だ無政府なる語をも用いし事なし」

…次に裁判長は山川均君に向い、前同様一般的訊問を発し、山川君は是に対して

山「余は旗を会場に持参せず然し『革命の歌』は会場にて歌えり」

裁「被告は無政府主義者なりや」

山「自ら無政府主義者なりとは言いし事なきも、無政府主義のの説明如何に依っては、社会主義者は何れも無政府主義者と言うも可なり」

裁「被告の会場を出でし時赤旗を見しや」

山「旗は一本高等商業学校の方にあるを見たり」

大須賀里子女子に対して…

「…未だ主義者としての資格は無からんと信ず、無論無政府主義に関しては、充分の智識なし」

百瀬晋君に対して…

百「(無政府党)万歳を叫び歌を高唱せり」

村木君に対し

村「基督教社会主義者を以て任ぜしも入獄後無政府主義に傾き来れり」「万歳は叫ばず、然し革命の歌は唱えたり」

 斯て裁判長は、赭衣を纏い、眼光爛々たる大杉君を呼びて立たしめたり旗の製作に関する訊問あるや、大杉君は「旗は余の発意にて余の製作したものなり…」

裁「革命の歌を唱え無政府党万歳を絶叫せしか」

大「大に然り」

荒畑寒村君に対して

「…無政府党万歳を叫びたり」

佐藤悟君は同様の訊問に対して

「…無政府党万歳と革命の歌は率先して叫べり」

「無政府主義も社会主義も究極の目的は同一なり」

徳永保之助君森岡永治君に対しても同様の訊問あり二君共に

「…無政府党万歳は絶叫せり、主義としては無政府共産主義を抱懐して居る」

宇都宮君は…

裁「旗を場内に持ち込みしは他派の社会主義を困らす為めなりしか」

宇「否な、自家の旗幟を鮮明にせんか為めなり」

小暮レイ子女史…

「自分は目下社会主義の研究中なるが故に、未だ無政府主義に就ては分明に理解せず」

神川女史は

「…主義者として自分は、社会主義者無政府主義者其の何れとも決せず、近き将来に於て発表するの機会ありと信ず」

管野幽月女史は「自分は最も無政府主義に近き思想を抱持し居れり」

巡査大森袈裟太郎が、被告等の翻せる赤旗を見て治安警察法違反なりとて、掲揚するを禁止せざりしや如何。是に対して山川、大須賀、百瀬、佐藤、徳永、森岡、宇都宮の諸君は何れも、禁止命令をうけざりし旨を答弁し、第一の旗手大杉君は左の如く答弁せり。

大「同志は会場に居たりし間、無政府党万歳を叫び、革命の歌を唱えしも、場外に出づる時は最も静粛なりしに拘らず、門を出るや忽ち一名の巡査飛び来りて「旗を巻け」

と言い様、赤旗に手に掛けて奪わんとせり。されど余は何等の命令も受けし事なし」

 第二の旗手荒畑君は「門を出るや、突如として三四名の巡査飛び来りて、旗を奪わんとせしより、余は何故奪わんとするか、理由を示せ、理由をしめさずば旗は渡さしと争えり、然し何等の禁止命令にも接せず」云々、

………………

大杉栄君『前述の如く旗を持て場外に出るや、門外に待伏せ居たる警官は『旗を巻け』と叫びて、強て是を奪わんとす、余は『理由なくして所有権を取んとするものは、強盗なり』と叫びて争えり、此時続々と同志の退場し来るを見し警官は更に他の旗に飛び行きて是を奪わんとしつつありたり。………………」

二面

村木源次郎君「余は商業学校の前にて、大杉君の旗を掴み、大杉君に助力せしが、同君の放せし後、互に旗を奪い合つる中に警官数名に依って捕えられ神田警察に送られその後旗の如何に成りしかは之を知らず」

神川松子女史「高等商業学校前にて、奪い合せる『無政府』の旗の方を、警官と同志の承諾の上にて、自分が預る事にして一先づ仲裁をなし、軈て其れを更に大杉夫人に預け、錦輝館前に赴かんとせしに、早や神田署に拘引せられたる人ありとの事を聞きしより、管野スガ子と共に神田署に面会に赴けり。然るに神田署にては面会を謝絶せられしかは門外に出でしに、恰も門外にて旗を奪いて今しも帰り来る二名の巡査に会逅せり。自分は其一名の警官に向い『其の旗は先刻警官承諾の上にて預かりしもの故返附されたし』と求めしに、一名の警官は突然管野を突き飛ばし、他の一名は自分に向い「貴様は顔に覚えがあるぞ」と言い様忽ち自分を捕獲せり、管野を突き飛ばせし巡査の顔は三角なりき」(哄笑廷内に起る)

管野夕月女史「今神川松子の述べし処と略同様なるが、自分は警官が、旗を渡さぬ故理由を訊さんとする間もなく、突然突き飛ばされ、且つ、非常なる暴力を以て腕を捻じられ、警察の門内に引かれて行きたり」

荒畑勝三君「大杉に稍遅れて錦輝館の門をでや、突然門の両側より三四名の警官現われ、飛び蒐(かか)りて旗を奪わんとす、『何故奪わんとするのか理由を示せ』と迫りしも其れには答えず、警官等は旗を神田署の方に引き行かんとす、其の中に百瀬君来り、自分と協力して旗を取られじと争いひしも、新に警官二三十名加わり来る吾等二人を包囲して旗と共に神田署へ引き摺り行けり」百瀬君も略同様の答弁をなしたり。

 斯て裁判長予審決定書に依り更に細密なる審問に入りしか大杉君は決定書に記しある、官吏抗拒の第一の理由を否定して、大「余は巡査の脾腹を突き亦は殴打したる事なし」と弁じ、森岡君は大森巡査の指を噛み付き負傷せしめたりと云うを否認して 森「大森巡査は指を噛まれて恨骨髄に徹し余の後を尾行し来りて捕縛せりと言えども、余は大森巡査に捕縛されしにあらずと述べ、堺氏は赤旗奪合に関連せりと云う事実を否定して、

堺『余は神川女史と共に巡査及び同志に注意して双方合意の上に、旗を神川女史に預くる事にせしめしも、官吏に抗抵せし覚えなし、亦余は何等も抵抗するの遺志すらなかりしなり』と弁じ、次で百瀬君は決定書に記しある「小林巡査の左腕を咬み」云々の事項を否認し、佐藤君は官吏に抵抗せしと云う事実よりも寧ろ官吏の為に肩、指、頭部等に負傷せしめられたる事実を述べ、更に衣服の両袖をモギ取られ背部より数名の警官に殴打たれし由を語る。山川君も亦決定書に記せる官吏抵抗の理由を否定して

 山「余は閉会後美土代町青年会館の方に赴かんとせしに、商業学校前に於て騒擾のあるより引き返し行き見たるに、同志と警官が赤旗を渡し渡さんと言い争い居たれば、余と堺君は其の双方を慰籍し、赤旗は婦人に託する事となし、奪い合いは一先づ茲に落着したり。余は此処に止まるの要なければ将に家に帰らんとせしに恰も神田署附近に於て一団の群集喧騒せるより驚きて行き見たるに引致されし後なりしなり。依て余は再び帰途に就か引返せしに、突如として一隊の警官現われ何故か余を捕縛せり、余は警官に抵抗せず、亦断じて赤旗に手を触れたる事はなし」云々と述ぶ。

 大須賀女史は曰く、「神川松子が旗を預る迄自分は唯傍観し居たるが、神川は更に錦輝館に行きしゆえ、自分と大杉夫人とは旗を巻て帰路に就かんとし、七八間程行く中に警官来りて無言にて旗を奪いたり。旗は同志より預けられたるの責任ありたれども、如何とも仕難ければ黙し居たり、旗には自分の関せし処は唯其れのみなり」

 小暮女史は予審決定の事項を否認し「自分は警官に唾を
吐きかけし覚えなし、唯だ村木の旗を持ち居たる際神川と共に同志に注意をなせしと、巡査が暴力にて引張りしゆえ其無礼を責りしとのみなり」

 宇都宮君は曰く「余が荒畑君の旗竿を掴みしは事実なれども、警官の胸を押たりと云うは決定書の誤りなり。………………」

 徳永保之助君は「大杉夫人と大須賀女史が預かりたる旗を持居たる際、一人の警官は突如横合いより其の旗を奪えり、余は之を取り返さんとしせしも遂に奪われたり。……………」

 神川女史は再び「自分は裁判は始めてなれど茲に疑わしき事一つあり………………」と言い、頗る冷笑せり。

 是にて略審問を終り、裁判長は予審調書(数十名の巡査の口供に拘る)を読み聞せ是に対する各被告の弁明を聞けり。

当日の重なる弁明左の如し、

 山川均君「判官諸公、後藤なる一巡査は余の背後に尾行し来たりて余を捕縛せりと予審廷に述べれども、他の場所に於ては被告佐藤悟が抗抵せしゆえに同人を捕縛せる様に述居れり、然ども、余が商業学校前より神田署附近に来りし際、恰も佐藤は後藤巡査に捕われ行きし後なれば余の同巡査に尾行され且捕縛せられしと云うは誤りなり亦後藤巡査が同一人にて、殆ど、同一時に異れる場所にて余と佐藤を捕縛するを得可き道理なし、滑稽至極と云うべく。殊に佐藤の捕縛されし時は衣服の両袖をモギ取れ、襟を破られ、且負傷すらせりと云えば、本事件中最も顕著なる事実なるに、前述の如き滑稽なる口供調書の相違あり、以て全般を押すに足らん」云々(此時検事閣下の顔少しく動き傍聴せる群集の唇に一種の笑みを見たり)

 森川永治君「裁判官諸公、余は大森巡査の指を噛四日間の休業を要するまでの負傷をせしめたりと調書に在ども、同巡査が、余の被れる帽子なりとて此処に提出せる証拠品は、余の全く見覚えなきものなり、余は一個の帽子にて満足す二個の帽子を要せず。彼の当時被りたる一個の帽子は、目下東京監獄に在り、是等の事実を以て見るも如何に警官が事実を捏造するに巧みなるか知るに足らん。尚お巡査は負傷せし際、何れにて何時負傷せりとも覚えずと予審廷に述べしにあらずや既に何れに於て、何時負傷せしとも記憶せざる程の創なるに何故加害者の余なる事を知り得たるや、不思議なり。且つ余は虫歯を患うるものなり、人に食い付きて四日間の休業をなさしむる程の資格を有せず」(哄笑起る)

 大杉栄君「判官諸公、吾等は面会を禁止せられ、書信の往復を断たれ、犯罪に就いて会議相談の上答をなす地位にあらず然れども彼の数十名の巡査は、被告の罪状を造る可く、自由に相談し、自由に疑義し、自由に捏造するの地位に在れりされば彼等の口供になる百の調書も、千の調書も、何等の信憑たらず、唯之一の空文のみ、諸公幸に是を諒とせられん事を」

 神川松子君「唯今読み聞されし一巡査の口供には、自分が大須賀と共に商業学校前にて行動を共にせりとあり、亦他の一巡査の口供には、管野と共に神田署前にて行動せしとあり、自分は、一人なれば、羽翼を有せざる限り一時に三丁余りも隔たりたる場所を短時間に駆け歩く能わず、殊に或る巡査の口供には自分が、襟に時計の銀鎖を懸けたる由を記しあれど、自分は当日鎖をも時計をも有せず、是等事実の相違より見るも如何に巡査の口供の馬鹿馬鹿しきかを知るに足らん」云々

尚お是等弁論の後にて堺、神川、山川等数名の被告より証人として大杉保子及巡査横山某を喚問されん事を申請し、是を許可せらる。次回は22日開廷と決し午後5時閉廷。

此の日幸徳秋水、坂本克水君等新聞記者席にあり。場外には百余名の群集溢れたり、評論社の新美君、志賀君、清国同志、在京一般同志、何れも朝来より来廷せり。

30号 1908.9.5

<赤旗事件公判筆記(承前 金曜社旧同人筆記)>

公判第二日 8月22日 一面三面五面

一面 

午前……検事の論告………

 8月22日午前9時東京地方裁判所に於て古賀検事干与、島田裁判長により開廷、朝来より傍聴席に押寄せた来りし群集は約四百名と註されり。前回は法廷なりしかば、此の日は控訴院第一号大法廷にて開廷さる、群衆中には麹町署等より派せられたる刑事巡査多数傍聴し居たりき。14名の被告人は例の如く元気なる面持にて、微笑しつつ入廷せり。

管野、再弁明、「………………予審調書には全く跡方もなき事を羅列せり。然も其事たるや到底、病身の自分には出来難き犯罪事項なり。自分が社会主義者なるの故を以て罪の裁断を受くるならば、甘んじて受くべし。然れども、巡査の非法行為を覆わんが為めに、犯罪を捏造して入獄を強いんとならば断じて堪ゆ可らず」云々

証人大杉保子君、事件当時の訊問を受く

横山巡査、

「………………二名の婦人柳の木の下にて赤旗を推し居り、渡さざる故極力争いて取上げたり、其の後右二婦人は、自分の後を尾け、神田署に来れり」

裁判長「其の二婦人とは誰ぞや」

横山は笑いて神川女史を指せしも他の婦人に就いては記憶せずと云う、然るに高等商業学校前の二婦人は、実に大須賀女史及大杉夫人にして神川女史は当時高等商業学校前にあらざりしのみか、同巡査の奪える赤旗を取り返さんとて尾け来りし事もなければ、女史は彼れの曖昧なる証言を黙過せず、猛然として起立し、

神川「裁判長! 横山巡査は不得要領なる証人なり、だろう、だろうの証言を以て吾等を罪人たらしめんとするは頗る不都合なり、現に彼の証言に依るも、同一人なる自分が、短時間に於て

高等商業の前と、神田署の前の二個所に現われ居れり、斯る矛盾せる事実は実際あり得可き事にあらず」女史は尚も巡査を追窮せんとせしが、裁判長に制せられて僅に止む。

 次で井本弁護士は、横山巡査と共に管野、神川の二女史を捕縛せし瀧澤巡査を証人に申請せしも却下されたり。

検事論告

古賀検事「本件は法律上の論点と成る可き点殆ど之無し、唯だ被告等が、巡査の禁止命令に違反或は抗拒せしや否やと云う一点を、唯証拠により裁判す可きなれば、事実の如何を審査すれば其れにて足れり、扨て犯罪状況の証拠を観察し行くに。

 元来三本の中一本は、被告利彦の家に保存し在りしものにて頗る由緒あるものなり。亦他の二本に関しては堺為子、大杉保子、福田英子、木下尚江、巡査大森袈裟太郎等の証言に依るに、為子及び保子は荒畑、宇都宮、村木、佐藤等が是を会場に持ち行けりといい、福田英子は大杉、森岡、宇都宮、徳永が持ち込めりと云い、木下尚江は山川、大杉、荒畑、大森巡査は百瀬、荒畑、宇都宮、大杉が持ち込めりと証言せり、之に依って

是を観れば、被告中男性の者は悉く旗の製作に関連せりと云うべし。………………「赤旗は吾等の生命なり、故に軽々に渡すことの能わず」と公言し、赤旗むを以て主義の表示なり生命なりとせるに拘らず、白昼之を街道に翻して、尚お且つ治安警察法違反たらざるの行為ありと信ずるの気遣なし。………………

禁止命令は言語のみにて表わさる可きものに非ず、行動に於ても是を表示し得るなり故に旗を取上ぐる事も亦法律的行為なり兎に角言語なり亦は動作なりにて、巡査が禁止命令を発せし事は事実に相違なし、治安警察法違反に相当するは明らかなる事也。……………巡査の行為を不法行為なりて罵れる言葉の反面には、彼等が抗拒せりと云う事実を、暗黙の間に自認せるが如し」

……………

午後 弁護士及被告の弁論

四婦人の弁護士井本常作氏の弁論あり曰く「……………無罪の判決を与えられん事を乞う」……………

卜部喜太郎氏の弁論あり

「本件は社会党員と巡査の旗取りに初りて、又旗取りに終れりと云うべし。至極事件は簡単なり。既に被告等は赤旗の掲揚に対して、禁止命令に接せずと云い証人の巡査十三名も何れも禁止命令を知らずと云う、唯だ一名大森巡査が禁止命令を発せしと云うも真偽疑わし。先刻証人に喚問されし横山巡査は、兎角

神田警察署を代表して証人に出廷せしならんが、予審廷とは全く相違せる不得要領の証言をなせり。今茲に十三名の巡査を証人喚問するも、十三名の横山巡査が、立ちて、十三個條の不得要領なる証言を為すと何の選ぶ処無れば、成程予審の決定書は文章は巧妙ならんかなれど、全然虚偽の証言と云う外なけん、虚偽の証言を以て被告の罪を裁判する能わざるは事明の理なり

 されど一歩を譲りて、本弁護人は後に禁止命令のありたるものとして論ぜんに元来治安警察法第16條の命令を発して若し被告等が是を用るざりし時には、警官は直に同法第29條に依り是を捕縛拘引すれば事足れり、何を好んでか運動会の如く、旗取りなどをするの必要あらん。亦警官等は旗を奪うの権利を有せざるなり。

 兎に角被告等が錦輝館の門を出るや、巡査の如き帽子を被り、巡査の如き制服を着け、然も巡査の如き洋剣を吊りたる一隊の暴漢、突如として現われ出で、行きなり被告等の所持せる赤旗を奪取せんとせり、被告等は大いに驚きて是と極力争いしも多数の為め遂に敗北して警察署へ引き摺れ行かれたりとせよ、 而して、被告等は遂に監獄に投ぜられたりとせよ、其は甚だ奇怪なる出来事にあらずや。然も本件は実に斯の如き次第なりしかり唯だ行政法に依りて旗を一時預り得る場合はあれども、其の場合は全く今回の如き場合にあらず、行政官庁にもあらず、行政官にもあらず、一大森及其の他の十数名なりしに非らずや。若し仮に被告等が赤旗の代に数百円の金子を所持せりとせよ、而して警官の服装せる一隊の暴漢が之を奪取せんせしものとせよ、事件は如何に成り行く可きや。本弁護人は警官が何の法律の条文に依るも、他人の所有物に手をかけ得る何等の権利を有せずと信ず。唯だ前述の如く警官等は治安警察法違反にて被告等を捕縛して引致すれば事足りしなり、手柄顔に旗を取る必要もなく、亦取り得るの権利も無かりしなり、斯く論じ来れば十数名の警官の行為は不法行為なり無論、被告等が是に対して防衛せりとて官吏抗拒罪を成立するの理由なし、曲は彼に在って、我に存せさればなり。本弁護人は以上の理由の下に被告の全部が無罪の裁判を与えられん事を希望す。

最後に検事閣下は、社会主義者は累犯の恐れあれば、厳罰に処せられたしとの事なりしも、法律は一視同仁にて、罪なき者を罰し得ざれば、判官諸公には充分冷静なる御判断を乞う、殊に、唯だ徒に、主義者を牢獄に投じて、彼等を鎮滅し得たりとなすは大なる誤解にて、寧ろ笑う可き、姑息なる社会主義者の取締法と云うの謗りを免れず、充分沈重なる御裁決を乞う」云々。

 卜部氏の弁論は多大の感興を傍聴者に与えたるが如し。兎に角近来の大弁論にして一言一句の惣にす可きもの無りき。……

次いで堺利彦君等数名の各弁論は判官の指名の下に行われたり。左の如し。

堺利彦「検事の論告に依れば、被告は社会主義者なるが故に厳罰に処せよとの請求なりしが、若し、社会主義者なるが故に罰せらる可きなれば、被告等は甘んじて刑に服すべし。然れども法律には『社会主義者となるものは罰すべし』と云う名文も見受けず。然るに理由なく、徒に、厳罰に処せよとは甚だ奇怪至極なり、寧ろ失笑に値せずや。又、検事は『無政府』なる文字に重きをお置きて、何等文字の内容に就て罪を問う処あらざりし、若し無政府主義者なるが故に罰せらるるならば、則ち可なり、然れども若し文字の内容に就て門罪せらるる処ありたらんには、各被告共に其の説明を異にするが故に、断罪するに於ても亦多少の相違ありたらんと信ず、惜しい哉、検事にも判公にも、何等の御訊問なかりき。被告の考える処に依れば、無政府主義も社会主義も、其の内容に依って同一なりと思う。或者は便宜上社会主義と云い、或者は無政府主義と云う。然るに内容に論及せられずして厳罰に処せよとは奇怪の事なり。日本の文壇に於ても既にニイチエ、トルストイ等の無政府主義の思想伝播せられ居れり、若し内容を究めず『直に無政府主義』という語を罰す可くんば、是等文壇の作者も罰せられざる可らず。

 若し亦単に旗を翻して治安に害ありと云う可くんば、彼の広告隊の掲ぐるライオン歯磨の旗も、クラブ洗粉の旗も治安に害あり。警官は是等の広告隊とも衝突せざるを得さる次第なり。或は思う、今回の事たる山縣の一派が西園寺内閣に対する……………(注 原文記事自体が…)」

 この時検事は倉皇として起立し

検事「……………本件に何等の関係なし、……………憲法の条文に依り、公開禁止を求ざる可らず」

 島田裁判長も亦「……………公開の禁止を宣言せざる可らず」

 茲に於て吾が堺君は巧みに論鋒を一転して警察攻撃に及べり。

「判官諸公、警察官の言の信を置くに足らざる事は、枚挙するに暇なきが、一例を挙ぐれば、森岡君を陥れんため、前回当廷に証拠品として帽子を提出して、尾を表わし、時計の鎖を首に懸けたる婦人を神川女史なりと証言して嘲笑を買い亦、神川女史が同志に向い、『黙殺せよ黙殺せよ』と叫びしを聞き、彼等は文字を知らざるが故に『撲殺せよ』と言いたりと誣い、現に予審廷に於ては、『神川マツは乱暴なる女なり、我々を撲殺せよと叫べり』など証言せり、豈な牛や豚やにあらざれば、神川君と雖も撲殺するの必要もあらざるべし、(哄笑廷内に満つ)亦、予審廷に於ては塁針を証拠品として提出し来り、『是にて吾々を突きたり』と捏造的証言を述べたり。思うに此針の如きも騒擾の後数千の群集中、何人か一人遺棄せしを拾い来って、斯くは我等に罪を誣ひんとせしなり。之を要するに警官が吾等に利益ある証言は一言も漏さず、若し人を陥穽し得る材料ならば、片言雙句と雖も是を蒐集し来って、捏造的証言に宛てんとしたる其証跡歴々たり。吾等は必ずしも巡査を敵視するものにあらず。彼等も亦薄給に甘んずる労働者なれば、、共に我等平民階級にして、我等の味方なれども、余りに事理を弁えず、徒に政府の代表者となりて其の権力を濫用するに於ては、其の罪断じて許す可らず。吾等は飽まで其の陋劣なる心事と、卑屈なる行為を攻撃せさる可らず。(満廷水を打ちたるが如く、寂とし声なし)」

堺君は更に

「検事は、余が旗の製作及持込みに関係せしが如く論告せられしも、其の論告たるや如何にも窮せられたる論告なり。彼の『革命』なる旗は余の宅に保存しありて由緒ある旗なりと云われしも、余は彼の旗の製作にすらも関せず、若し由緒ありとせば、其は余の六歳に成る愛児が、常に大道を携え歩きて、何等故障なく警官の前を通過せりと云う由緒を有するのみなり。亦検事は神川マツ子君が、仲裁と称して旗を奪取せり、と論告せられしも、実際仲裁と云う事は、今日迄?々行われ居たるなり、現に山口義三君を上野停車場に迎えし時の如きも一大騒擾ありて、石川三四郎君が警官と同志の間に絶えず仲裁の労を取られしは事実なり。亦神田署に拘引されし夜の如きも、我党の士が警官に対して不平を訴え、喧騒を極め、警官も為に持て余し、遂に余に向って、同志を慰撫鎮静せんことを請い、初めて鎮るを得たるにあらずや、検事は斯の如き事実あるに拘らず、尚お官吏と同志との間に仲裁の不可能を力言せらる、又検事は小暮レイが引致せらるる時、余が傍より官吏に手出しせしが如く論告せられしも、全く、さる事なし。若し余にして小暮の傍らにありたらんには、必ずや傍観せざりしなるべし。豈に啻に小暮のみならんや、茲に共に在る同志にして難に在らば、余は如何ぞ是を傍観せんや、然れども事実余は其処に居合さざりしなり。斯の如き巡査の証言によりて裁判せらるるは、日本裁判所の裁判を受くるが如き心地せず恰も警察署と云う裁判所にて下級警官の裁判を受くるの感あり。

 是を要するに、吾等は、何等の罪にも擬せらる可きものにあらさるなり」

堂々一時間余に亘る弁論は終了せり、

 次て山川均君は立てり。

「………………警官の証言は殆ど支離滅裂にして、……………佐藤悟君のみは警部の訊問に答弁せず、……………余は一ツ橋交番の前を通過せし時、警官が『君等は錦輝館の帰りなるや』と問いしゆえ、然りと答えしに、然らば一寸と立ち寄られたしと請いしかば、其の儘同派出所に入り後神田署に拘引されしなれば後藤巡査などに捕獲さるる理由なし、兎に角、警察は有ゆる捏造をなして吾等を陥擠せんとするが如し。余は本件に関して、責任を免れんと云うに非ず、然れども、今日の横山巡査の如き証人の一言に依りて罪に処せらるる事は断じて忍びざる処なり』云々、同君は尚お木下尚江君の証言に対し激烈なる駁撃を試み、其の誤謬を指摘せり。

[五面]

 次で寒村、荒畑勝三君は立てり、曰く

「……………判官諸公、巡査の証言に依れば、三本の旗が一時に錦輝館の門を出で、一時に禁止命令を受けしが如くあれどもも、全く虚言なり、……………余等が神田署に引致せらるるや巡査の態度は俄然として一変せり神田警察は吾等を便所に行かしめず、食事をも供給せず。茲に於てか吾等は巡査を罵倒せり、同じ平民階級に在りながら、其の味方を苦しめんとする各

巡査等は、一人一人吾等を引出して殴打し、若くは頭髪を引張れり、殊に彼等は大杉君を引出して両足を持ちて床上を引き摺り、長き頭髪を引張て頭部及び各所に数箇所の負傷をなせしめたり、大杉君は是に対して医師の診断書を求めたり、然れども警察医は宜し宜しと答えたるまま遂に診断書を与えざりき。裁判官!斯くの如きの暴力に抵抗したるの故を以て罪に問わるべくんば、余は喜んで罪に服すべし』悲壮激越の調、満廷を圧し、声涙共に降るものなりき。

 佐藤悟君は次で立てり、曰く「余は各所に負傷し、検事局に於て之を示し検事も亦是を認めたり、然れども、被告の言は一として用いられず、却って犯罪者として陥擠せらるる事は遺憾なり。若し又、私有財産制度を保護する法律ならば、何故吾等の私有物を保護せずして冒横を事とするか」意気軒昂、蛮声満廷に満つ。森岡永治君は皮肉なる冷罵の調を以て検事に向えり、先づ、「検事閣下の論告は、虚言の分量の多かりしだけ、それだけ無力なりき」と揶揄一番し、更に事実の相違を指摘せし後「警察が吾等に対し陰険なる手段を弄するは、啻に此の一時に止まらず」とて、出版及公開演説に対する禁止命令及び、或方面に於る同志を間接に迫害して失業せしめし事実等を列挙したる後「何時の裁判も、厳罰に処すべしという検事の御論告なれば、事新らしくと云うの必要も無りしに、又もや厳罰に処せと論告せられしは至極滑稽なりと冷罵し、更に…………最後に「証拠品なる三本の赤旗は、大切に保存されん事を乞う、日本政府が一度△△して、理想的社会を実現するの時之を紀念品たらしめん」云々と結ぶ。

 次で神川女史は「繊弱き、婦人が仲裁の労を取り得ずと検事は論告せられたるも自分は婦人なればこそ仲裁し得ると信ずるなり。彼の伊庭想太郎が、星亨を刺さんとして其玄関に赴きし際、可憐の小児の出づるに遭い哀れを感じて遂に空しく引き返せしと云う話もあるにあらずや、自分は社会主義なるが故に罰せらるると云うならば甘んじて服罪すべし、されど警官と同志を調停せしの故に罰せらると云うに於ては、断じて服罪する能わず」と述べ管野幽月女史は「法律は個人の思想を罰する事を得ざるべし、飽まで公平の裁判を望む」云々と述べ、閉廷す、判決は29日午前9時。

31号 1908.9.20

<悲壮なる最後の法廷> 二面

「錦輝館赤旗事件の判決言渡しは8月29日午前11時服部検事立会、島田裁判長に依り言い渡された。判決左の如し

重禁錮2年6月罰金25円 大杉栄

同  2年    20円 堺利彦

同          山川均

   (註 控訴するも原審のまま)

同          森岡永治

同  1年6月  15円 荒畑勝三

同          宇都宮卓爾

同  1年    10円 大須賀さと

   (註 控訴審で執行猶予が付く)

同          村木源次郎

同          佐藤悟

同          百瀬晋

同  1年    2円 小暮れい

   (但し5年間刑の執行猶予)

同          徳永保之助

(但し5年間刑の執行猶予)

無罪         管野すが

無罪         神川まつ

…寒村荒畑勝三君は、猛烈疾呼して曰く『裁判長!』裁判長は稍々青味勝ちたる顔を仰て寒村君のを一瞥した。寒村君は猛獅の吼ゆるが如く、

『裁判長! 神聖なる当法廷に於て、弱者が強者の為に圧迫せられた事実の、明瞭となりしを感謝します、何れ出獄の上御礼を致します』…

 次で大杉君も亦『裁判長!』と疾呼して何事をか言わんとした、然し驚愕の色を眉宇に浮かべたる裁判長は、『今日は言渡しを仕た迄だ、不服があれば控訴せよ』

と言い棄てて去んとする。茲に於て大杉君は『無政府党万歳!』

と叫んだ他の同志も我劣らじと『無政府党万歳』を連呼した。…』傍聴席には60余名の同志が列席し、新聞社席には都下の新聞記者及幸徳秋水、坂本克水、徳永国太郎、等の諸君が着席して居た。

 佐藤悟君は例の蛮声で、『是が所謂法律だ吾々は唯だ実行!!実行!!』

 大杉君は、呵々大笑して居た。非常に感情の興奮する時、吾等は彼の此の哄笑を聞くのである。曾て本郷平民書房楼上に於て、金曜講演迫害事件の有た当夜、同志の一人がユートピアの話を仕て臨検警部の講演中止、集会解散を食った時、呵々大笑したのは大杉君であった他人が血涙を振って憤る時に、哄然として大笑するのが大杉君の癖である、吾等は彼れの此の哄笑を聞く毎に、悲憤の涙が零れる。堺君は幸徳秋水君に。『社会党の運動も是で一段落だ、折角身体を大事に仕手呉れ』と言いつつ、相顧みて一笑した、ああ寂しき一笑、無限の感懐に満ちたる一笑。

 山川君は、毫も興奮の状が容貌に現われて居無かった、静々笑って、悠然として、も出て行った、ああ痩せたる彼れの後姿!!三ヶ月有半の牢獄生活に、青春の血潮を涸渇されたる彼は、今や再び苦き経験を繰り返さんとす、ああ恐ろしき監獄の烈寒………………

 看守は十四名を牽いて撻外に出した、長き広き廊下に溢れたる群衆は、愁いと笑をもて目送する、同志の或者は再び万歳を連呼した。而して『ああ革命は近けり』と、声高々に歌うたいつつ。

大いなる運動、大いなる活動は、茲に時期を劃した、歴史は更に次の頁に移らねばならぬ。如何なる頁か、其は唯だ為政者の自由なる想察に任せる!!(有生)

Taken from https://web.archive.org/web/20041030094717/http://www.ocv.ne.jp/~kameda/akahatagiken-kouhannkiroku.htm

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